砂嵐の王子 ザフィーラ
神王の末裔とされ、マウハタ族の族長である青年ザフィーラ。
今回は彼に使用されている主なモチーフを、現実のエジプトと結びつけながら見ていきたいと思います。
名前
『ザフィーラ(زافير)』とは、アラビア語で「勝利した」という意味がある、クルアーンに起源を持つ名前です。主にムスリムの男子につけられます。女性形では『ザフィーナ』になります。
彼の戦闘勝利ボイスは「王よ、この勝利に感謝を」です。
緑
ザフィーラのテーマカラーである緑色はエジプト神話とも非常に関わりが深い色です。
砂漠の国エジプトでは唯一の水源であるナイル川のもと農耕作も行われています。オシリスは元々は植物の神とされており、エジプト人に穀物の作り方を教えたとされています。
神話ではオシリスはセトに謀殺された後イシスの力を借りて復活を遂げ、冥界の審判者として君臨します。冥界の神として一般的になったのはこの神話が定着した後といわれています。
生命の死と復活、植物の死と再生の循環が結びつき、緑色はそれらを象徴する色となりました。したがってオシリスは壁画では体が緑色、左手に大麦を持った姿で描かれているのです。
まとめると、緑色は植物、豊穣、再生、復活、生、オシリス神を象徴する色ということです。
宝石
彼を彩る色とりどりの宝石を見てみましょう。
★3衣装や★5衣装の腕輪には、カーネリアンと思わしき橙色の宝石が嵌め込まれています。
カーネリアンは古代のエジプト、ギリシャ、ローマ等で頻繁に使用されてきた石で、お守りや置物など、その用途は多岐に渡ったそうです。紀元前2500年頃には職人によって宝飾品が作られていたといわれています。
ターコイズやラピスラズリと共に使用されることが多かったのですが、その二つが希少で高価であったのに対してカーネリアンはそうではなく、希少性よりも石の持つ意味合いから重用されていたそうです。
カーネリアンの燃えるような色は太陽神ラーと関係づけられ、太陽を表す円盤やホルスの目を表す宝石に多用されました。ホルスの右目(ラーの目)は太陽の象徴とされていました。
太陽のようなカーネリアンは太陽信仰と深い関わりのある石であったということです。
次に、★4衣装の首飾りに使われている2色の宝石のうち、黄緑色の石を見てみましょう。仮にペリドットとします。
ペリドットの語源はアラビア語で宝石を意味する「Faridat」(ファリダット)からです。
古代エジプト人は紅海(アフリカ北東部とアラビア半島の間にある内海)に浮かぶトパジオス島で紀元前1500年頃にはファラオの命により採掘を行なっていたとの記録が残っています。
この島は現在ではザバルガッド島と呼ばれており、アラビア語でペリドットの意です。
古代エジプト人は明るい緑色を放つペリドットを「太陽の宝石」と呼んでいました。
屈折率が高く、暗闇のわずかな光の中でも輝くペリドットは明るい光の中では見えづらくなるとすらいわれ、採掘は昼間ではなく日没後に行なうのがよいとされていたそうです。
次は深い緑色の石を見てみます。これをエメラルドとしましょう。
エメラルドはクレオパトラが愛した宝石としても有名です。記録のあるものでは最初に開かれたエメラルド鉱山は紀元前330年頃とされていますが、それ以前のことははっきりと判っていません。長い歴史を持つわりには発掘される古代のエメラルドの数は少ないそうです。
そのような不明点が多い一因として、長年の間エメラルドは前述のペリドットと混同され続けてきたことが考えられます。クレオパトラが愛していた「エメラルド」の多くは実際にはペリドットだったのではないかとも言われています。
一例として、ドイツのケルン大聖堂にある200カラットの緑色の宝石は何世紀もの間エメラルドだと信じられていましたが、1900年代にペリドットであったことが判明しています。
どちらにせよ、ペリドットもエメラルドも美しい緑の宝石であることに変わりはありません。先に解説した通り、緑は豊穣や再生を表す色として愛されました。
次に真珠の首飾りです。他の宝飾品と比べて少し異質な存在に感じませんでしたか?
真珠の母貝(マザーオブパール)は紀元前3200年頃には古代エジプトで装飾品として用いられており、貝殻をカットしたものが墓の壁画などに使われていたそうです。エジプトは紅海に近かったこともあり利用されたのでしょう。
しかし、真珠そのものがアクセサリーとして利用されるようになったのは、紀元前500年頃にアケメネス朝ペルシアがエジプトを支配した後ではないかと言われています。
それ以前の古代エジプトにおいては装飾品や副葬品にはやはり煌びやかな宝石や金が好まれ、真珠が用いられる例は見られなかったそうです。
ちなみに、クレオパトラは宴の席で退屈そうにしていた将軍マルクス・アントニウスの前で、自身の耳飾りについていた真珠を酢に溶かして飲んでみせるという大胆な行為でもてなしたという有名な逸話があります。
話はあくまで言い伝えですが、クレオパトラは紀元前50年頃の人物なので、真珠を身につけていたことは何ら不思議ではありません。
もし真珠の首飾りをカインが身につけていれば少し不思議だったかもしれませんが、それがザフィーラなのであれば違和感もありませんね。
猫
ザフィーラの愛猫ホアビス。そもそも何故猫なのか?
古代エジプトでは生活や信仰などのあらゆる面において猫は寵愛されました。もちろん、王族にも可愛がられていました。エジプトで猫が飼われていたとされる最古の例は紀元前4000年のものだそうです。農耕が行われていたエジプトでは害虫であるネズミやヘビを駆除できることから重宝されました。また、後述のバステト神の影響からも猫は神聖視されました。猫の集合墓地やミイラも多数発掘されており、大切にされていたことが伺えます。
猫神バステトは豊穣、出産、家庭を司る女神で、男女問わず広く崇拝されました。紀元前3000年頃には獅子頭の獰猛な神とされていたのが、猫が一般的に家畜化された後の紀元前1000〜700年の間に猫頭の神に変化したとされています。王の守護者とされ、それに伴い太陽神ラーと結びつくようにもなりました(ラーの娘とする説もある)。猫は半神、またはバステトの肉体的な姿とも考えられていました。
ホアビスが猫の中でも特に黒猫であるのは、壁画での表現に由来しているのではないかと私は考えています。古代エジプトにおいて黒とは死や闇を表す色でしたが、同時に生命を培う土壌の色とされ、豊穣と復活を表す色でもありました。そのため、これらを象徴する神々は(実際の色としてではなく概念の色として)黒で描かれました。バステトも黒で表現されることが多いです。
ザフィーラのS4宝物「黒猫 ホアビス」の図鑑にはこう書かれています。
古代砂漠王国代々の神王の側には、平和と繁栄の象徴として黒猫が常に寄り添っていたという。
どうやって聖なる黒猫が代々現われるのかは誰にも分からない。ある日、ザフィーラは自分のもとを訪れた黒猫に「ホアビス」と名付け、パートナーとして一生懸命世話をしている。
古来より代々、どこからともなく現れ砂漠の王と共にあったといわれる黒猫。王となる運命を持つ者の前に現れるのであれば、ホアビスが神の遣いや神の化身である可能性も捨てきれません。
なお、この伝説の通りであればかつてカイン様のそばにも黒猫がいたということになります。可愛がっていたのか、どんな名前をつけていたのか、気になるところです。ホアビスと瓜二つだったかもしれません。
隼
ザフィーラのソウルウェポン 、ザリエスは隼と思われる鳥の姿をしています。隼といえばホルス神ですね。
ホルスは隼または隼頭の姿をした太陽と天空の神です。右目(ラーの目)は太陽や力を表し、左目(ウアジェトの目)は月や癒しを表しています。古代エジプトの人々は空をホルスの広げた翼、そこに浮かぶ太陽と月をホルスの両目だと信じていました。
ホルスはオシリスとイシスの息子であり、オシリスの弟セトの甥でした。セトが妬みからオシリスを殺害し、ホルスはセトとエジプトの王座をめぐって戦いました。ホルスはセトに勝利して父の仇を討ち、王位を継承することになった、というのが神話の主な筋書きです。
以上のことからホルスは王そのものの象徴とされました。王(ファラオ)はホルスの化身、ホルスの地上での姿とされました。神格化され信仰された王、すなわち「神王」です。
アイギーナの影章では、オシリス→カイン、イシス→ライアス、セト→シャクメ、ホルス→ザフィーラに当てはめられることがわかります。
ザフィーラを神王の後継者として認めることで目覚めたザリエス。強大な闇、そして自身の弱さに「勝利した」ザフィーラは名実ともに未来の王に相応しい存在となったといえるでしょう。
まとめ
いかにザフィーラが「太陽」や「神」や「王」の要素を身にまとっていたかということがお分かりいただけたでしょうか。
アイギーナはエジプトがモチーフにされていることもあり、キャラクターやストーリーにもその神話や文化からの影響が多々見られます。ここでは触れていないものも沢山ありますので、その由来を探ってみるのも面白いかもしれません。
※上記の全ては一個人による妄想と考察にすぎませんのでご了承ください。